現状: FXAを使っていると、例えばチャートペアは約19種類。
GFTの時のように、例えばそれを上から、週足、日足、4h足、1h足とかでやっていって、基本、日足で大きな流れが出そうで/出ていて、そこからエントリーは1hで測る、というのが今は居心地がいい。
つまり、自分が見ているのはあくまでも3本のEMAとロウソク足だから、他のブロガー達の用にカッコいい(?)インディケーターはなく、むしろ私は VとK との共感覚を使ってチャート分析をしている。
だから、決まったプロセスとして、W、D、4H、1H の順に、といったようなルールがあるのではない。
むしろ、それがときに交錯しながらも、「一貫性のあるチャートとの戯れ」を通して、何かそこにあるメッセージを見つけ出そうとしているのだと思う。
そう、私にとってチャートとはメタファーなのである。
これは、昔、某氏が言っていたような「チャートの右を見る」見方ではなく、チャートをカリブレートしているとでもいえると思う。 まぁ、私的にはね(笑)。
そうすると、例えば日足的にはよさそうかな、というペアがあっても、自分の感覚に従ってチャートを見ていると、やっぱり躊躇する感覚が出て来る。
そして、その場合、エントリーは早すぎる、つまり、リスク対リターン比でいくと、ハイリスク&ローリターンなのである。
私はやっぱり、ポジションサイジングも当たり前だけど、エントリー&エグジットを、ローリスク&ハイリターンで攻めて行きたい。
例えばこういう考え方も、実はその人の前提によって催眠暗示がかかっている場合がとっても多い。
例えば、トレードの仕方が、今、私が言ったようなローリスク&ハイリターンタイプだとしたら、トレード自体が「超ハイリスク~」だなんてことは一切、ないのだ。そしてまた、これ程地道な作業もない。
「たった今エントリーしたい症候群」も、その肯定的意図とコミュニケートすることで上手くかわして行き、絶妙のタイミングを見計らって、さらっと入る。
これはひとえにステートチョイスの賜物だけれど、これに尽きてしまうと思う。
う~ん、どう表現すればいいのだろう。
Van がrule-based discretionary trader と言ったときに私が違和感を覚えたのは、自分の中の"rule" という言葉の定義によるのかも。
それとも、私があえて「一貫性のあるチャートとの戯れ」という表現をして「ルール」という言葉を避けたのは、それほど「一貫性」にフォーカスしたかったからかも。
「意識下でのルール」ではなく、「無意識下をも含む一貫した共感覚」なのかなぁ。
そして仮にこれを確立したとして、私はこれをどうやって他の人がモデリングできるようにできるのかなぁ...(笑)